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大分地方裁判所 昭和46年(ワ)341号 判決 1973年3月20日

原告 阿部国明 外三名

被告 国 外一名

訴訟代理人 麻田正勝 外一名

主文

1  被告大分県は、原告阿部国明に対し金六、五一七、一九七円、同阿部澄枝に対し金二、四〇八、五九九円、その余の原告らに対し各金二〇五、〇〇〇円、および右各金員のうち、原告阿部国明について金六、二一七、一九七円、同阿部澄枝について金二、二五八、五九九円、その余の原告について各金一八〇、〇〇〇に対する昭和四六年五月三〇日以降完済に至るまで各年五分の割合による金員を支払え。

2  原告らその余の請求は棄却する。

3  訴訟費用中、原告らと被告国との間に生じたものは原告らの負担とし、原告らと被告大分県との間に生じたものはこれを三分し、その一を原告らの負担、その余を被告大分県の負担とする。

4  この判決の第1項は仮りに執行することができる。

事  実 <省略>

理由

一  請求原因一<省略>の事実は当事者間に争いがない。

また、本件道路が国道で被告国が設置し、被告県が管理する営造物であることは当事者間に争いがなく、<証拠省略>によれば、被告国の機関委任事務として道路法一三条にもとづき大分県知事がその管理をなしていることが認められる。

二  先ず、被告国の本件道路の設置又は管理に瑕疵があつたか否かにつき判断する。

1  道路法は「道路の構造は、当該道路の存する地域の地形、地質、気象その他の状況及び当該道路の交通状況を考慮し、通常の衝撃に対して安全なものであるとともに、安全かつ円滑な交通を確保することができるものでなければならない」(二九条)、「道路管理者は、道路を常時良好な状態に保つように維持し、修繕し、もつて一般交通に支障を及ぼさないように努めなければならない。」(四二条)、「道路管理者は、道路の構造を保全し、又は交通の安全と円滑を図るため、必要な場所に道路標識又は区画線を設けなければならない。」(四五条)と定めているので道路管理者がこれらの規定による義務を負うことは明らかである。

2  被告国が本件道路の管理を大分県知事に委任していることは前認定のとおりであるから、本件道路の管理者は大分県知事であつて、被告国は管理者に当らないものというべきである。

3  <証拠省略>によれば、本件道路は以前から存在していたが、昭和二八年五月一八日二級国道に指定されたことが認められる。したがつて、本件道路は右時点において公の営造物として設置されたものというべきであり、被告国は右指定の時における本件道路の設置状態について責任を負うものというべきところ、当時は現行の道路構造令、車輛制限令は施行されておらず、他に右設置基準を定めた規定は存在しなかつたから、被告国の本件道路の設置に瑕疵があつたか否かは、当時の交通事情のもとで社会通念に照らして判断されなければならない。

4  本件道路は後に認定するように、幅員は五・三五メートルあり、本件事故現場付近には相当の間隔を置いて離合所が設けられていたこと、したがつて、普通自動車の通常の連行に十分な程度の安全性が保たれていたところ、路肩についての規定(道路構造令二条一〇号、七条、車輛制限令九条)が当時存在しなかつたこと、右規定は道路事情が制定前後で著るしく変化したことに応じて定められたものであること、昭和二八年頃はいまだ事故車の如き大型タンクローリー車(後記認定の如く一四五〇五キロの重量である)が一般に通行していなかつたこと(公知の事実である)等の事実に照らせば、本件道路は昭和二八年当時としてはその設置状態に瑕疵はなかつたものと認めるのが相当である。

5  以上のとおりで、他に被告国が本件道路の瑕疵について責任を負うべき主張も立証もないから、原告らの被告国に対する本訴請求は理由がなく、棄却されるべきものである。

三  そこで以下被告県の本件道路の管理に瑕疵があつたか否かについて判断する。

(一)1  本件道路の状況について

<証拠省略>を総合すれば、次の事実が認められる。

本件、事故現場は国道二一二号線上で、日田市鈴蓮町に至る道路分岐点から中津市万面に約一五〇メートルの地点にあり、この附近の道路は山の斜面をL字型に削り落して路床とし、その上に砂利を敷いて造られたものであること、中津市万面から日田市方面に向かつて右側(以下道路右側という)は道路に沿つて上方垂直に崖が切り立ち、その道路右端には下水溝が設けられており、同じく中津市から日田市に向かつて左側(以下道路左側という)の道路は雑草が生えている路端から下方垂直に崖となつており、その約六メートル下を花月川が流れていること、本件現場付近の道路はほぼ直線で歩車道の区別はなく、道路中央部と路端は約一〇センチメートルの落差を有するカマボコ型をなしていること、事故当時、路面は前夜の降雨のため湿つていたが、現場付近では何らの交通規制もされていなかつたこと、本件事故現場から中津市寄り約一〇〇メートル、日田市寄り約四〇メートルの各地点にはそれぞれ離合所が設けられていたこと、以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

2  事故車および対向車について

<証拠省略>によれば、事故車は車輛総重量一四、五〇五キロ、車体の長さ八・一二メートル、車巾二・四八メートルで、本件事故当時事故車と対向進行して来た自動車(以下対向車という)は車巾一・六九メートルであることが認められる。

3  事故車の転落状況について

<証拠省略>を総合すれば、事故車の転落に至る状況は次のように認められる。

事故当時、日田市方面から中津市方面に向かつて対向車を運転していた訴外尾崎俊樹は事故現場付近にさしかかつたさい、前方約七〇メートルの地点に事故車を認めて、これと離合するため前記日田市寄りの離合所から約三〇メートル中津市寄りの地点において道路右側の下水溝いつぱいに対向車を寄せて停車したこと、一方事故車は対向車に接近するにつれて徐々に減速しながら道路左側に寄つて対向車と離合しようとしたところ、対向車の約四メートル前方の地点において事故車の左前輪が路面に喰い込みはじめ、進行につれてその深みを増し車体が約二〇センチメートル以上も傾斜したため、周嗣は右地点を過ぎた直後頃にハンドルを右に切つて対向車と併行して離合を図ろうとしたものの、ハンドルをとられて、そのまま、左前方に進行してしまつたこと、周嗣は右車体の傾斜に気づいて転落を免れようと、なおもハンドルを右に切つたが、路面が軟弱で陥没の度合いが著るしかつたため右側の堅い路面に這い上がることも停車・後退することもできず、そのまま対向車の約一メートル手前まで進んだところで、左前後車輪の左側路面が事故車の重量に耐え切れなくなつて崩れ、このため事故車は左横倒しに崖下に転落したこと、以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

(二)  ところで、道路構造令二条一号、車輛制限令二条七号は「道路の主要構造部を保護し、又は車道の効用を保つために、車道又は歩道に接続して路端寄りに設けられる帯状の道路の部分」を路肩とし、車輪制限令九条は、「歩道を有しない道路を通行する自動車は、その車輛が路肩(路肩が明らかでない道路にあつては、路端から車道寄りの〇・五メートルの幅の道路の部分)にはみ出してはならない。」と規定されておるところ、被告県は、周嗣が本件道路の路肩上を通過したため本件事故が発生したと主張するので判断する。

1  本件道路の路肩を示すものとしては、<証拠省略>によれば、本件事故現場から中津寄り数メートルの地点にデリネーターが一本立てられていたことが認められ、また、前認定のように本件道路は道路中央部から路肩にかけて約一〇センチメートルの落差があるが、右デリネーターおよび道路落差はいずれも路肩の表示として不明確であり、他に路肩を明確ならしめるに足る特段の標識・地形上の特徴は認められないので、本件道路は路肩の明らかでない道路に該当する。

2(イ)  <証拠省略>によれば、本件事故現場における道路右側下水溝の左端から道路左端までの道路幅員は五・三五メートルであることが認められ(右証拠には本件道路幅員は五・二メートルである旨の記載が認められるが、<証拠省略>によれば右幅員は路肩崩壊部分につき見積り線を引いて測定したものであることが認められるので、右記載は信用しない)事故車と対向車の幅は合計四・一七メートルであることは前認定のとおりであるから、仮りに両車の離合に〇・五メートルの間隔を要するとしても事故車と本件道路左端との間隔にはなお〇・六八メートルの余裕がある。

(ロ) <証拠省略>によれば、事故現場には事故車の左前輪が路面に喰い込んでできた長さ約四メートルのタイヤ痕が存すること、右痕跡の左前輪がはじめに喰い込んだ地点は左後輪の転落した地点よりやや右側であること、左後輪の転落した地点と道路右側の下水溝左端との距離は四・七メートルであることが認められ、本件道路幅員が五・三五メートルであることは前認定のとおりであるから、本件道路左端と左前輪が喰い込みをはじめた地点とは〇・六五メートル以上の間隔があることになる。右認定に反する<証拠省略>は右証拠に対比して信用できず他に右認定を左右するに足る証拠はない。

3  しかして、右(イ)(ロ)の各事実に前記(一)3で認定した事実を考え合わせると、本件事故は道路左端より〇・五メートル内側の路肩を越えた地点、換言すれば、本来堅固なるべき車道部分が、事故車の重量に耐えられない程に軟弱であつたために発生したものと認められるから、事故車が路肩上を通過したために事故が発生したとの被告県の主張は理由がない。

(三)  また、前認定のように事故車が前のめくりでなく左横倒しに転落した状況から考えると、本件道路の崩壊がなくても転落は免れなかつたとの被告県の主張も理由がない。

(四)  次に、被告県は本件事故は周嗣が離合のできない場所において無理に離合をしようとしたため発生したので被告らに責任はないと主張するので判断する。

1  周嗣が本件道路をしばしば運行していたことは当事者間に争いがなく、検証の結果によれば、本件道路事故現場の北東約一〇〇メートルの地点、および、南西約四〇メートルの地点にそれぞれ離合所が設けられていること、北東約七五メートルの地点には「離合所八〇メートル先」と表示した立札が立てられていることが認められるので、周嗣は本件事故現場付近に離合所があることを知つていたものと推認される。

2  しかしながら、<証拠省略>によれば、本件道路では路肩すれすれの地点で通行がしばしばなされていたこと、本件事故のさいにも、対向車は事故車と会う前に、離合所外で大型車と離合していたこと、したがつて対向車は事故車とのばあいも離合が可能であると判断してすぐ近くにあつた離合所へ後退することなく停車していたことが認められ、右事実と前認定のように対向車との離合に〇・五メートルの間隔を要してもなお事故車と道路左端との距離が〇・六八メートル存することを考え合わせると、被告県としてはかかる離合がなされることは予想すべきである。したがつて、周嗣が離合をなしたととをもつて本件道路の管理に瑕疵がなかつたとの主張は理由がない。

(五)  <証拠省略>を総合すると、被告県は本件道路につき職員および道路工手を配して監視させ、路肩均し、不陸直し等の作業をさせていたことが認められるが、これらはいずれも表面的作業に止まり、本件崩壊土地の地質そのものに対する安全対策ではないから、右作業等によつて被告県の本件道路に対する管理の瑕疵が治癒されるものではない。

そうすると、すでに認定した如く本件道路の管理者は大分県知事であるから、被告県は、国家賠償法二条一項に基づいて、原告らに対し本件事故によつて生じた後記の損害を賠償すべき義務がある。

四  (過失相殺)

被告県の損害賠償責任は右のとおりであるが、前記のとおり、本件現場から約四〇メートル日田寄りの地点には離合所があり、周嗣は本件道路をしばしば運行してそのことを知つており、さらに、対向車を運転していた尾崎俊樹は、周嗣の合図があればいつでも右離合所へ後退する態勢で停車していたこと(<証拠省略>により認められる)、当時、雨後で地盤が軟弱となつていたうえに事故車が車輛総重量一四、五〇五キロで五トンのプロパンガスを満載した大型タンクローリー車であつたことを考え合わせると、周嗣としては前記対向車を離合所まで移動させて貰い、その地点で対向車と離合するなどして、転落事故が発生しないように注意して自車を運転しなければならない義務があつたものというべきところ、周嗣はそのような安全、確実な処置をとることなく、前記対向車の左側を通過しようとして、きわどい離合を試み、あえて、事故車を同所道路左側に寄せたため、その重量により輪下路面が崩壊して、本件事故が発生するに至つたのであるから、同事故の発生については、周嗣自身にも過失が存したものと認めるのが相当であり、周嗣の過失と被告らの前記設置・管理上の瑕疵とは、前者が三、後者が七の割合による原因力を有していたものと認めるのが相当である。

五  損害

(一)  周嗣の蒙つた損害

1  逸失利益

<証拠省略>を総合すれば、周嗣は本件事故当時有限会社上村商店に自動車運転手として勤務し、同店から月額八七、〇二〇円の賃金を得、このうち月二〇、〇〇〇円を自己の生活費に支出し、月六七、〇二〇円の利益を得ていたこと、周嗣は事故当時満三五才二ケ月であつたことが認められる。そして、周嗣は経験則上満六〇才にいたるまで稼働可能であると認められるから、本件事故にあわなければなお二四年一〇ケ月間勤務し、この間右同額の利益を得ることができたものと推認される。右以上の期間周嗣が労働して利益を得ることが可能であつたとは本件全証拠によるも認められない。右期間にわたつて、この得べかりし収入を失つた周嗣の損害を月別ホフマン式計算方法により年五分の割合による中間利息を控除して、周嗣死亡当時の一時払い金額に換算すると金一二、九六五、四二三円となる。

2  慰謝料

三五才の若さで妻子を残して死亡した周嗣の精神的損害を慰謝するには金一、〇〇〇、〇〇〇円が相当である。

3  よつて、周嗣は本件事故に基づき一三、九六五、四二三円の損害を蒙つたものというべきところ、前認定の周嗣の過失を斟酌すると、このうち被告らが賠償すべき金額は、その七割に当る金九、七七五、七九六円をもつて相当と認められ、周嗣は被告らに対し同額の損害賠償請求権を取得したというべきである。そして原告国明が周嗣の子、同澄枝が妻であることは当事者間に争いがなく、原告国明は右金員の三分の二である金六、五一七、一九七円の、原告澄枝は三分の一である金三、二五八、五九九円の各損害賠償請求権を相続により取得した。

(二)  原告らの慰謝料

<証拠省略>によれば、原告澄枝は二七才の若さで夫を亡くし、二年九ケ月の幼児を抱えて生活をしてゆかねばならず、原告国明は幼なくして父を失ない、その余の原告らは周嗣の父母として子に先立たれた悲しみを味わねばならないことが認められ、その精神的苦痛を償うには、原告国明、同澄枝に対し各一、〇〇〇、〇〇〇円、その余の原告に対し各金三〇〇、〇〇〇円が相当である。しかして右各金員に周嗣の過失を斟酌すると、原告国明、同澄枝各七〇〇、〇〇〇円、その余の原告各二一〇、〇〇〇円となる。

(三)  弁護士費用

<証拠省略>によれば、被告らは原告らに本件損害賠償金を全く支払おうとしなかつたので弁護士吉田孝美に委任して本件訴訟を提起せねばならなかつたこと、原告らは右弁護士との間で請求原因三(四)<省略>記載のとおりの額計五〇〇、〇〇〇円の報酬を支払う旨約したことが認められる。そして、本件訴訟の難易、請求認容額その他の事情を斟酌すると、右弁護士費用のうち、原告国明につき金三〇〇、〇〇〇円、同澄枝につき金一五〇、〇〇〇円、その余の原告につき各金二五、〇〇〇円を被告らに負担せしめるのが相当である。

(四)  労働者災害保障保険法により、原告国明は金一、〇〇〇、〇〇〇円、同澄枝は金一、七〇〇、〇〇〇円、その余の原告はいずれも各金三〇、〇〇〇円を支給されること、およびこれを元金に充当することは原告らの自認するところであるから、(一)3、および(二)(三)記載の金額から右各金額を控除すると、原告国明は金六、五一七、一九七円、同澄枝は金二、四〇八、五九九円、その余の原告は各金二〇五、〇〇〇円となり、原告らは被告県に対し本件事故によつて右各金員相当額の損害賠償請求権を有する。

六、よつて、原告らの本訴請求は被告県に対し右各金員および、右各金員から四(三)記載の各弁護士費用の損害金を控除した残額に対する本件不法行為の後である昭和四六年五月三〇日以降支払ずみに至るまで各民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度において正当であるから、これを認容し、その余は失当として棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第九二条本文、仮執行の宣言について同法第一九六条第一項をそれぞれ適用し、仮執行免脱宣言由立は相当でないからこれを棄却することとして、主文のとおり判決する。

(裁判官 高石博良 井関正格 鈴木国夫)

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